Sunday, 18/8/2019 | 1:30 UTC+9

岡本太郎が感じる韓国の踊りと民謡

本を読んでいると踊りや音楽の描写にふれることは時折おこる。
僕が大好きで尊敬する岡本太郎さんが音楽についてどう感じたのか、心を研ぎ澄ませて聞かねばと思った。そして、この文章は書き留めておきたいと思った。

『美の世界旅行:第5章 韓国発見』より

 たとえば仮面や民俗行事の道具など、私はそれが舞い踊る、祭り全体のイメージを夢見る。つい心の中を見つめてしまうのだ。半島の民族芸術にはそのような全体的な流動感の表情が強い。物であるというよりは、より純粋に時間と空間だ。音、動き。それは面であると同時に、民謡であり、民族舞踊でもあるのだ。本当をいえば、こういうものが博物館形式で展示されるのは資料としてだけであって、あくまでもかぶられ、動き踊られるというのが本来的である。物と時間、空間はそもそも一体のものだ。私は国楽院で、さまざまの優れた民族舞踊、民謡を見せてもらった。そして民芸にふれる時と同質の感動を覚えた。セクションの違い、へだたりを感じとる必要がないほど、密着しているからだ。

 民謡。多くは哀切なメロディーだが、決して沈んでしまわず、常に抑揚をもって流れつづける。

 踊りの彩り、空間性も、いわゆるキマリではなく、無限からはじまり、無限に終るというような鮮やかな流動感。驚くべき空間性だ。澄みきった大空を見るように、爽やかに軽く、空を切ってはしる優美さ。その点、中国の舞踊の洗練と似ているが、もっとスポーティーな感覚がある。


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