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Monday, 19/1/2026 | 8:48 UTC+9

1980年──アルゲリッチとショパンコンクールの衝撃

今、若き日のアルゲリッチのショパンを聴いている。

巷では「ショパン国際ピアノコンクール」の話題をよく耳にする。
ここから羽ばたいた素晴らしいピアニストたちの存在は、すでに歴史が証明している。
ただ、そこには輝かしい結果を得た者と、そうでなかった者がいる。
僕はヨーロッパの政治にも歴史にも詳しくないが、今日はその“落選”にまつわるアルゲリッチ1980年の出来事について考えてみた。


Ⅰ.はじめに ― ショパンとアルゲリッチの宿命的な関係

1965年、アルゲリッチはショパン国際ピアノコンクールで優勝する。
そして15年後、1980年。彼女は同じ舞台に「審査員」として戻ってくる。
若き日の情熱と、成熟した芸術家としての矜持が交錯する年だった。


Ⅱ.1980年ポーランドの空気 ― 冷戦と「連帯」運動の高まり

1980年のポーランドは、ソ連体制下で大きく揺れていた。
「連帯(Solidarność)」運動が勃発し、民主化への熱気と恐怖が混在する時代。
ワルシャワで開かれるコンクールも、国家の威信を懸けた文化的イベントであり、
芸術と政治のあいだには、見えない緊張が張りつめていた。


Ⅲ.ポゴレリッチ事件 ― 「天才」をめぐる審査員アルゲリッチの抗議

ユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国出身のピアニスト、イーヴォ・ポゴレリッチが登場する。
ユーゴスラヴィアはソ連の支配を受けない唯一の社会主義国だった。
彼は独特の解釈で聴衆を魅了したが、審査員の一部には理解されず、3次予選で落選。
アルゲリッチは「彼は天才だ(He is a genius)」と断言し、「こんな審査はできない」と抗議して審査員を辞任した。
この出来事は世界的なニュースとなり、彼女は「音楽の自由を守る芸術家」として一層知られることになった。


以上、多少の誤りがあるかもしれないが、整理してみた。
なぜポゴレリッチが落選したのか、真実を知る者はいない。
決定を下した人々も、きっと沈黙を選ぶだろう。
真実は多くの場合、語られるほどに陳腐になる。
だが、想像する自由は誰にも奪えない。

僕がアルゲリッチを「素晴らしい」と感じる理由も、説明はできない。
彼女の演奏は、いつも何かが違う。
なかでも別格なのが、1980年、ショパン・コンクールの審査員として戻った彼女が披露した
チャイコフスキー《ピアノ協奏曲第1番》である。

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なぜショパンではなくチャイコフスキーなのか。
それは今もわからない。
もしかすると、彼女は“型にはまらない自由な芸術家”であることを示したかったのかもしれない。
あるいは、東西冷戦下のポーランドでこの曲を弾くことに、「橋渡し」という象徴的意味を込めたのかもしれない。
あるいは、15年前に栄光を掴んだこの舞台で、より壮大なロマン派作品を選ぶことで、
自らの成熟を静かに語りたかったのかもしれない。

その理由は、いつか彼女が語る日までわからないだろう。
たとえ直接インタビューできたとしても、きっと笑ってかわされる気がする。
けれど、このライブ録音をアナログのレコードで聴ける僕は、
聴くたびに「生きることの意味」を教えられている気がするのだ。

音楽の聴き方は自由だし、感じ方もひとそれぞれ。
音楽に説明はいらない。
それでも、アルゲリッチからはいつもエネルギーをもらう。
信念を貫くということ――それは誰にでもできることではないが、誰にでもできることなのだ。
だからこそ、彼女の音は今日も僕を励まし続けている。

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1980年10月1日、マルタ・アルゲリッチは第10回ショパン国際ピアノコンクールの審査員としてワルシャワに戻り、その開幕をチャイコフスキー《ピアノ協奏曲第1番》の演奏で飾った。15年前、同じ舞台で優勝して以来、世界を席巻してきた彼女は、今や「いかなる批評や学問的枠にも収まらない存在」として迎えられた。ライナーノーツには、彼女の演奏が「精神的エネルギーと説得力で聴衆を圧倒した」と記され、会場にはテレビや照明が入り、国を挙げた文化的祝祭であったことが伝わる。録音はポーランド国営レーベル「ポルスキエ・ナグラニア」により行われ、アルゲリッチ自身が試聴のうえで発売を承諾した。ショパン・コンクールの開幕で、あえてショパンではなくチャイコフスキーを選んだことは、彼女の芸術的自由と成熟を象徴している。東欧の緊張が続く時代に、国境や体制を越えて音楽そのものの普遍性を示した演奏――それが1980年、ワルシャワの夜に鳴り響いたチャイコフスキーだった。
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世界の音楽との「出会い」(自己紹介 noteへのリンク) 大阪のレコード店で出会ったインドネシアのダンスミュージック ダンドゥット(DANGDUT)の女王、エルフィ・スカエシ(Elvy Sukaesih)と言ってもまずは誰もわからないだろう。インドネシアの美空ひばりと言ってもピンとこないな、きっと。それに正しくもない。インドネシアは多様な民族の集まる国だから国民を代表する歌手はいない。ひとつの大衆音楽の女王である。 大袈裟だが、このレコードと出会わなかったら、自分の人生は変わっていただろうと思う。ただ、それはわからない。でも、出会うべくして出会ったのだろう。 https://note.com/jirorhythm/n/n936acb145d0e

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