African Odyssey — ブリュッセルの冬に生まれたジャンベの記憶
2025年11月21日
世界の音を追いかけていたあの頃、
僕は初めて“レーベルとしての責任”と向き合うことになった。
その最初の作品が、この African Odyssey だ。
場所はブリュッセル。
冬の空気が少しきつくて、
スタジオに入るたびに鼻の奥がツンとしたのを覚えている。
あの寒さの中で、
ジャンベだけが不思議なほど温かく響いていた。
このアルバムは、
ママディ・ケイタが亡命した街で、
彼のグループ “Sewa Kan” のメンバーを中心に録音したもの。
ただし、ママディ本人は参加していない。
それでも、彼らの演奏には
あの時代のアフリカの“鼓動そのもの”があった。
録音中、僕は風邪をひいてしまい、
本来ならやるはずのディレクションを
ほとんど出来なかった。
ジャケットデザインではメンバーと衝突し、
曲目も削り、
タイトルも後から “African Odyssey” に変えた。
いろんな後悔が積み上がった作品でもある。
でも、
この作品がなければ、僕はレーベルとして再起できなかった。
そして Ntoman。
数年後、
彼はアフリカに帰省中にマラリアで亡くなった。
その知らせを聞いたとき、
「アフリカの人がマラリアで亡くなるのか…?」
と思った自分の無知が恥ずかしかった。
ジャケットの中の彼の横顔は、
今でもまっすぐ音の方向を向いている。
ショーマンではなかったかもしれないけれど、
ジャンベに向き合うその姿勢は
本当に美しかった。

この作品は、
僕の“旅の始まり”であり、
“失敗と再生のスタートライン”だった。







POST YOUR COMMENTS
コメントを投稿するにはログインしてください。