ジャケットのないバッハのレコードを聴くBach Concertos for 3, 4 Pianos (Beroff Collard Rigutto Tacchino) EMI
2026年5月14日朝、何を聴こうかと思う。今日もグレン・グールドの昔の映像をレーザーディスクで見ることは決めているが、朝から映像を観る気持ちにはなれない。
ターンテーブルに置いたままのレコードは、ショスタコーヴィチの交響曲第五番だった。そのまま聴いてみる。僕にはまだわからない。シベリウスのヴァイオリン協奏曲を聴いてみる。最近、シベリウスも悪くないと感じる。いつかわかるときが来るか。
さて、と。ブラームスが呼んでいるが、いつもいつも同じ毎日になってしまう。それでも良いのだが、ここにある沢山のレコードのなかには、僕のこころを潤わしてくれるものがきっと沢山あるのだ。
レコードジャケットのない一枚を手に取った。バッハだった。レーベルも問題ない。バッハならそうはずれはないだろうと針をおろす。

これは、、、鳴り出した音は、いつものバッハとは少し違っていた。
明るい。
華やかだ。
音が外へ、外へと開いていく。
グールドのバッハのように、内側へ沈み込んでいく感覚ではない。
もっと風通しがいい。
誰かと誰かが呼び交わすように、音が行き交っている。
その響きを聴いていると、ふと、これは本当にバッハなのかと思う。
むしろヴィヴァルディやヘンデルのような、あの外に向かっていくエネルギーに近い。
そうか、と後から知った。
この音楽は、もともとヴィヴァルディの協奏曲をもとにしているものもあるのだ。
ピアノが複数台。
三台、あるいは四台。
それぞれが違う声を持ちながら、時に重なり、時に追いかける。
だからだろう。
バッハでありながら、バッハだけではない。
知的に組み上げられた構造の中に、
もっと直接的な喜びや、光のようなものが差し込んでくる。
今朝の空気に、よく合っている。
考え込まなくてもいい。
ただ、音の流れに身を任せればいい。
バッハは深い。
けれど、こういうバッハもあるのだと思う。
外に向かっていくバッハ。
誰かと分かち合うためのバッハ。
そんなことを感じながら、針はゆっくりと進んでいく。



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